歴史


 スーリヤヴァルマン2世

  アンコールワット を建立した王(在位1113年~1150年頃)で、アンコールワット は彼の墳墓であるという説もあります。多くの王がシヴァ仰であるのにヴィシュヌ神を情仰したり、普通は寺院の正門は東向きであるところを西向きに造ったりと、とてもユニークな王さま。勇果敢な性格だったそうで、前王との激しい王位争いを勝ち取り、かってないスケールの寺院アンコール・ワットを建設しました。約37年の治世の間には、中国(南宋・北)との交易を再開したり、近隣国へ兵を出し遠征をくり返して領土を広げていったりと、外交外にも積極的だったようです。遠征の様子はアンコール・ワットの第一回廊(南面西側)のレリーフで見られます。


ジャヤバルマン7世

 

クメール 帝国の最盛期を築き上げた、アンコール時代 後期の王(在位 1181年~1220年頃)で、アンコールトム、バイヨン、タ・プローム、プリアカンなど多くの寺院を建造しました。これまでの王たちがヒンドゥー教を仰していたのに対し、ジャヤヴァルマン7世 は大乗仏教を仰。彼の造った寺院がどこか人間的で親しみやすさを感じるのは、そのせいかもしれません。彼の治世には「王道」と呼ばれる、アンコール王都へ通じる街道も整備されました。時の クメール帝国は、タイ東北部、べトナムやラオスの一部までを領有し、「すべての道はアンコールに通ず」という名言も生まれたほど強大な帝国として、東南アジアの一時代を築きました。今も国のところどころに当時の王道や橋が残されています。

 

ジャヤヴァルマン7世 は勇敢かつ慈悲深い王として名高く、今も カンボジア人 に愛されている人気者。その顔の レプリカはホテルやレストランなど多くの場所に飾られています。


ヒンドゥー教の3大神

ヒンドゥー教 の神々で「破壊の神シヴァ」「維持の神ヴィシュヌ」、「創造の神ブラフマー」を三大神と呼びます。王たちは自らを神格化するために、各々が望する神をあがめ、神と自らを一体化させていました。ヒンドゥー数 を仰した王のうち、ほとんどの王はシヴァ神を、そして アンコールワット のスーリヤヴァルマン2世 はヴィシュヌ神を仰。当時プラフマー神はあまり人気がなかったようです。シヴァ神の象徴であるリンガ(男性器をかたどった像)は、プノンクーレン など多くの遺跡で見られます。なかには プノンクロム ( トンレサップ湖 近くの山上寺院)など、三大神すべてが祀られていた遺跡もあります。


アプサラ

乳海料で、水の泡から生まれたという天女が アプサラ です。アンコールワット 第一回廊の乳

海援件のレリーフ(東面南側)には、上空で軽やかに無いっているアブサラたちが描かれています。

統舞の人気演】「アプサラダンス 」は、団底のレリーフをもとにつくられたと言われています。バイヨン や バンテアイクイ、プリアカン にある「アプサラテラス」では、美しいアプサラのレリーフが多数見られます。


ナーガ

アンコール遺跡 では多くの動物神を見かけますが、なかでも一番よく目につくのが、ヘビ神のナーガではないでしょうか。アンコール・ワット 、 アンコール・トム 、ベンメリア など多くの 遺跡 の参道や橋の欄干に用いられており、カンボジア では「愛され神」として存在します。ナーガ は「不死のシンボル」であると同時に、人間の世界と神の世界をつなぐ虹の架け橋とも考えられています。頭の数は必ず奇数で、5だったり7だったり、中には9つもある。


(しゅみせん)須弥山(メール山)

ヒンドゥー教 で「世界の中心」を象徴する山。アンコール の王たちは自らが世界の中心であることを知らしめるため、王位につくとすぐに須弥山をイメージした尖塔の高い寺院を造営しました。アンコール・ワット のような「山型」の遺跡が多いのはそのためです。

遺跡によっては「無限の大海」をあらわす環濠や、ナーガ の架け橋を配しているものもあり、理想郷であるヒンドゥー世界を具現化することが、時の「流行」であったとも言えます。


ヒンドュウ教/ 大乗仏教

アンコール時代 を飾った二大宗教。といっても、ほとんどの王たちは ヒンドゥー教 を仰していました。ヒンドゥー教はインドを起源とした多神教。王たちはヒンドゥー教の世界観を理想とし、そこに近づくことに心血を注ぎました。

遺跡にたくさんの神さまが登場するのはそのためです。一方、大乗仏教を仰した数少ない王、ジャヤヴァルマン7世 が建てた寺院には仏像が見られます。なお、現在のカンボジアの国教は上座部仏教(小乗仏教)です。


アンコール

アンコール・ワット や アンコール・トム の「アンコール」とは、都や町を意味する言葉。当時、いずれも巨大な クメール 帝国の中心にある都城であったため、首都というような意味合いを持っていたのかもしれません。なお、802年から1431年頃まで続いたクメール人(カンボジア人)により建国された国家を「 クメール 帝国(Khmer Empire)」、その時代を「 アンコール 王朝(Angkor Dynasty)」、または「 アンコール時代 」などと呼びます。


アンコールワット

アンコールワット は12世紀前半(1113-1150) スリヤーヴァルマン二世 という王様によって建設されたヒンズー教のお寺です。 カンボジア の宝で シンボルとなって、 カンボジア の国旗 やお札にもデザインされています 。日本で言えば 富士山のようなものです。 昔はたくさんの人々の信仰を集めていたところです。アンコールワット の広さ だと 東西は1.5km、 南北は 1.3km で一番高いところは地面から上まで 65m となってます。

アンコールというのは町、ワットはお寺、つまり アンコールワットは町のお寺という意味です。元々はヒンズー教のお寺だったんですけど、今は カンボジア 95% 仏教 信仰していますので、仏教寺院に改修されて仏教寺院として信仰されています。

普通、ヒンドゥー教や仏教寺院は東向きに建てられています。これは、東は人が生まれてくる方角、西は亡くなった人が行く方角、つまり西方浄土があったと考えられています。 アンコールワット は、めずらしく西を向いて建てられています。そのため、この寺院はこれを建てたスリヤーヴァルマン二世のお墓として建てられたと考えられています。

また アンコールワット は当時の カンボジア人 が考えた世界観を表していると言われています。中央塔はヒンドゥー教の神々すむ山、(須弥山)を表していると言われています。これは神々の世界を人々に知らせるとともに、王様の権力を見せるためと考えられています。


アンコールトム

アンコール・トムは12世紀 のおわり、ジャヤバルマン7世という王様がつくった、クメールの町です。アンコールは町 、“都市”とい う意味、トムは大きいという意味です。ですから、アンコール・トムは、“大きな都市”という意味です。アン コール時代は西暦802年頃から1431年頃までの約600年間で、アンコールトムの時代が一番つよくて、国も大きかったそうです。

広さは一辺が3キロメートルの正方形で、幅が130メートル のお堀があります。城壁の高さは8メートルで、5つの大きな門があります。門の上には東西南北に、観世音菩薩のお顔があります。これは、世界中の人々が平和になるように、 という願いがあるそうです。

バイヨン寺院

バイヨンは、アンコールトムの中心地にある寺院です。12世紀の終わりジャヤバルマン7世という王様がたてた仏教寺院といわれています。塔がたくさん立っていて、全部の塔に観世音菩薩のお顔が彫られているそ うです。中央塔の高さは45メートルです。当日お寺として使われていたと言われています。

タプロム

タプローム遺跡 は 12世紀の後半 ジャヤーヴァルマン7世 という王様によって建設された仏教の寺院です。 特に、 お母さんのために建てられたそうです。当時は大乗仏教寺院だったが、今の カンボジア は小乗仏教になっているため、小乗仏教寺院として信仰されています。またこの寺院は大学としても使われていたそうです。遺跡と自然が一緒になって、ガジュマルのような木が建物の上を絡んでいるので、魅力的です。さらにトゥームレイダーというアメリカの映画の舞台です。


ニャックポアン

ニャック・ポアン は絡み合う蛇の意味で、大池と4つの小池により構成されている池水遺跡で ある。この遺跡は 西バライ、東バライ の池の中心に 建てられている メボン 祠堂と同じ意味をもつと考え られる。アンコール・トム の東北に付属する矩型の 大池「 ジャヤタターカ (「ジャヤヴァルマンの池」の 意味)」の中心に、このニャック・ポアンが建てられ たのである。現在、池は乾上がってしまっているが、 一辺70メートルの大池を中心にして、東西南北に付 置する4つの小池は樋嘴でつながっている。樋嘴は それぞれ象、人、ライオン、牛の頭をモチーフとし、 小品ながら秀逸な彫刻である。中央池の中心部には、 蛇が絡みあった円形7層の基壇が造られ、上に祠堂 が設けられている。2匹の大蛇はその胴体で基壇を 取り巻き、東正面で蛇頭を持ち上げ、西正面で尻尾 をからませている。寺院の名は、この2匹の人蛇の 姿にちなんでいる。同堂東側の池中には、観音の化 身バラーハといわれる神馬とそれに必死でしがみつ く人々の実物大の彫像がある。難破した旅人が神馬 パラーハに助けられ、鬼が島から逃げ帰ったという 本生の中の話を描いたものである。


プリアカン

プリアカーンは、1191年にアンコールトムをつくったジャヤヴァルマン 7世によって建てられた大乗仏教寺院です。チャンパという今の南ベトナムにあった国との戦いに勝った記念に建てた そうです。

 

ジャヤヴァルマン7世は仏教徒でしたがもともとあったヒンドゥー教も残そうという考えがあったそうです。お釈迦様が沢山彫刻されましたがヒンドゥー教徒に削り取られてしまいました。この寺院に残る仏教的なものはほとんどが削られたり、 壊されたりしてしまっています

 


バンテアイスレイ

バンテアイスレイ 遺跡は、アンコールトム からさらに東へ30キロメートル行った バンテアイスレイ 村にあります。 昔は道が悪かったので、1時間30分くらいかかっていましたが、今は道が良くなったので50分~1時間くらいで行くこ とができます。

967年ジャヤバルマン5世やラージェンドラバルマン2世という王様の時につくられた ヒンドゥー教寺院です。バンテアイとは、、スレイはという意味なので、つまり女の砦という意味 になります。赤い色をした砂岩を使っているため全体が赤く、さらに彫刻が細かくて女性らしいとい うことからこの名前がついたといわれています。

そして、バンテアイ・スレイが発見されたのは1914年です。発見されるまで長い間、森の中にあり、だいたい ぐずれてしまいました。フランスによって修復されたので綺麗になっています。

建物が小さいですけど、彫刻が一番綺麗なところで、カンボジア にある遺跡は 1000箇所以上ありますが バンテアイスレイの彫刻が ナンバーワンです。

彫刻が素晴らしくて有名ですが、その中で 一番有名なのは東洋のモナリザの彫刻です。

 


ベンメリア

ベンメリア は、11世紀の終わりから12世紀の始めに建設が始まったと考えられ ています。アンコールワット を建設した王様、スーリヤヴァルマン2世やその前の王様など、何人かの王様によって作られたといわれています。大きさは、周囲4.2キロメートル。お堀の幅は、45メートルあります。 3つの回廊、十字の形をした庭があります。

ベンメリア の意味ですが、「花束の池」という意味です。 ベンメリアの先には、大プリヤカーン という遺跡があります。このふたつの遺跡の間には「王道」という 古代の道があります。天空の城ラピュタのモデル遺跡だと言われています。


コーケー

コーケー 遺跡群は10世紀前半(928-944)、ジャヤーヴァルマン四世という王様によって、建設された。ヒンドゥー教の遺跡で、特にシヴァ伸を奉る遺跡群です。コーケー遺跡群で一番人気なのは、プラサット・トム(カンボジアピラミッド)です。7階の建物で、高さ37mぐらい、上からの眺めが魅力的です。

シェムリアップ街から120kmの所にあって、車で2時間半ぐらいかかる。


プノンクーレン

プノンクーレン とは山の名前です。プノン とは山、クーレン とはライチという意味です。ライチの木が沢山あることからプノンクーレン、つまりライチの山と呼ばれているそうです。

プノンクーレン の高さは487メートル、長さ約30Kmです。山が少ない カンボジア の中でプノンクーレンは高い山です。当時の カンボジア人 はプノンクーレンをヒマラヤ山脈、そしてそこから流れる シェムリアップ 川を聖なる河のガンジス河、シェムリアップ 川が流れつくトンレサップ湖をインド洋と考えていたそうです。

プノンクーレン は アンコール 王朝が誕生した場所です。802年 ジャヤバルマン2世 という王様がクーレン山の頂上で王様になる儀式をし、クーレン山中心に マヘーンドラバルヴァータ という都を造りました。このジャヤバルマン2世がアンコール王朝最初の王様で、その後約75年間ここに都がありました。その後都は シェムリアップ 市内から東へ約13Kmの所にあるロリュオスへ移りました。その都の名前は ハリハラーライヤー と言います。アンコール 時代とは802年~1431年までの約600年間です。この間26人の王様がいましたが、このジャヤバルマン2世が アンコール 時代最初の王様です。

即位式で王様は(王は神と同じである)という宣言をしました。これは カンボジア の 歴史上、とても重要な意味がありました。それまでの カンボジア は部族ごとにそれぞれの権力者がいたそうです。


クバルスピアン(水中遺跡)

クバルスピアン は クーレン山 という山の頂上にあります。

当時の人たちは、クーレン山 を ヒマラヤ 山脈にたとえ、クーレン山 から流れる川をガンジス川と考えていたそうです。

クバルスピア ンは1054年に ウダヤティティヤヴァルマン2世 によって作られたと考えられており、1054年~1154年頃まで王様やバラモン僧のための町があり、たくさんの人が住んでいたそうです。しかし、その後 ジャヤヴァルマン7世 が王位につき、ヒンドゥー教から仏教に改修されると、町の人々も    バイヨン の近くに移り住みました。

クパルスピアン とは「川の源流にかかる橋」という意味です。クバルが「頭」でこれは、川の源流を表します。スピアンは「橋」という意味です。


プリア ヴィヒア

プリアヴィヘアは、9世紀の終わりごろに ヤショーバルマン1世 によって建てられた後、 11 世紀の初めにスールヤバルマン1世によって改修されたヒンズー教等院です。

シェムリアップ 北東のタイとの国境にあるダンレック山脈の標高約650メートルの山頂にあり ます。

プリアヴィヘアとは、「聖なる神殿」という意味です。天空に浮かんでいる遺跡と呼ばれています。

以前は内戦時代の影響で地雷が多く、治安も悪かったので、 カンボジア 側からは行くことが出来ませんでした。ですがここ数年は、地雷撤去も進み、道路も以前よりは良くなったので観光できるようになりました。


サンボープレイクック

サンボープレイクックは、アンコール・ワット の東約120キロ、カンボジア 中部の コンポントム 市から北へ約30キロの場所にある遺跡で、かつて真臘(チェンラ)の都があったところです。

イーシャナヴァルマン1世という王様によって造られた都は、7世紀から8世紀頃栄えて、イシャナプラ と呼ばれる、たくさんの寺院が造られました。その中で、壊れずに残った寺院建造物が、現在 サンボー・プレイ・クック と呼ばれるようになりました。

この都は、西暦616年に造られました。ジャヤヴァルマン2世 が国を統一し、アンコール王朝 時代がスタートする西暦802年より約200年も前の時代です。

この都の中には 130個くらい寺院がありますが、すべて、古い時代の独特のスタイルで造ら れています。アンコールワットなどとは全く違った雰囲気を楽しめるところです。


バンテアイチュマール

バンテアイ・チュマール は、アンコールワット から北東へ約150キロ、タイ国境からはわずか30キロ程の場所にある遺跡で、ジャヤヴァルマン7世という様によっ建設されました。

ジャヤヴァルマン7世はチャンパ、南ベトナムと戦い、勝利して王様になった人で、アンコー ル・トム という大きな都をつくりました。

大変強い主様で、この都が栄えた時代には領土も広く、数多くの寺院や病院をたてまし た。また、チャンパに負けそうになった国を救った為、この王様は救国の王とも言われていま したが、その後また新しい強い国が覚れたので、今度は急いで砦をつくりました。

この砦というのが、バンテアイ・チュマールのことです。そして、この時力をつけてきたのがシャム、 現在のタイにあたる国で、シャムが攻めてこないように、ジャヤヴァルマン7世はこの砦をシャ ムの国の近くに造ったといわれています。


スピアン・コンポンクディ

スピアンコンポンクディは、12世紀後半 ジャヤバルマ ン7世 によってつくられました。スピアンとは日本語で橋という意味、コンポンクディ というのは 

この街の名前です。

コンポンクディ にあることからこの名前がつけられています。そしてもうひとつの名前は、スピアンプラップトゥフです。これは【方向を告げ る】という意味です。長さ約90m、幅 15m、高さ10mあり、ラテライトでできています。

フランスの研究者によると、橋は通行するため、また水を止めて水の量を 調整するダムの役割もしていたそうです。乾季と雨期の大きな水の量の変化 に対応して水をコントロールするためにつくられたそうです。1960年代に修理されています。そして、古代の道は全て アンコール に通じていました。

アンコール からは4つの道が地方の都市にのびていました。ここは アンコール から 125km はなれてい ます。